ビッグデータを論じる前に、産業革命を振り返る
0技術が与える社会への連鎖的な影響力を理解するのは、容易なことではありません。今、まさに変化が起こりつつある時代の中に生きている私達にとってはなおさらです。それがどれほど難しいことか、少し時代をさかのぼって、1733年に発明された飛び梭(とびひ)を例に紐解いてみましょう。いきなり200-300年も前の話をする事に驚かれるかもしれませんが、当時起こった変化と、現在起こっている変化がどれほどそっくりそのままかを見ると、きっともっと驚いて頂けるのではと思います。現代起こっている変化は、ほぼ全て、200-300年かけて人類が経験してきたものだと言っても言い過ぎではないでしょう。
さて、時間をさかのぼって、1730年のイギリスを見てみましょう。まだ人々が工場で働くことはなく、それぞれの家族が羊を放牧したり、家で布を織ったりして生活していました。布を作る時に使用されていたのは、織機と呼ばれる縦糸と横糸を手動で組み合わせる道具でした。ここに登場したのがジョン・ケイ氏による飛び梭(とびひ)でした。飛び梭は、縦糸に横糸を素早く通すために役に立ちました。今までは、両腕が届くくらいの幅で布を織るか、横糸を通す助手を2人つけて幅広の布を織るしかありませんでしたが、これによって一人でも大きな布を織ることができるようになりました。たったこれだけの技術革新ですが、ここから上流工程、下流工程の技術革新、輸送システム、人々の働き方、都市形成、社会階層形成、公教育、国際間競争と、変化の連鎖反応を引き起こすことになります。
飛び梭により、糸から布を作るスピードが2.5倍ほどにあがりました。すると、原材料である糸が足りなくなりました。そこで今度は綿花から糸を作る過程にイノベーションが求められ、ハーグリーブス氏がジェニー紡績機を発明する事になります。綿→糸のボトルネックが解消し、糸→布のボトルネックも解消。次にイノベーションが向かったのは、それぞれのプロセスの動力を人力から水力に変えることでした。手回しではなく水力を使って糸を紡ぐことができるようにしたものが水力紡績機、蒸気機関で布を織るようにしたものが力織機です。
これが力織機です。要は人力でなく機械動力のものです。左右を行ったり来たりしているものが飛び梭で、これが人ではできない速度で横糸を通している事が見て取れます。
動力が水力・蒸気機関に変わると、変化のインパクトが工場内から社会全体にしみだすようになりました。工場立地や運河などの都市計画、蒸気機関に必要になる鉄・石炭、輸送手段など、波及的にその影響は広がっていきます。今まで主要な輸送手段は馬車でした。しかし、石炭の大量輸送が必要になると、馬車だけでは効率的ではありません。輸送についての需給ギャップにより、多くの運河が建設され,そして鉄道が敷設されました。旅客を運ぶ世界初の鉄道営業は、1830年にリヴァプールとマンチェスターを結んだものでした。また、蒸気機関を動力とした蒸気船も登場しました。1807年には、北米のハドソン川の定期商船として、世界ではじめての商業用旅客輸送汽船がアメリカの技術者によって建造されています。
変化は、目に見える都市設計や輸送手段だけではなく、目に見えない社会構造に及ぶことになりました。家内制手工業が工場制機械工業に変わるということは、今までは家で作業をしていた人たちが、雇用者と契約して働く労働者となる事を意味します。産業規模の拡大に伴い、多くの労働者が必要とされ、1802年から公教育がスタートしました。人々の社会的な役割分担も、資本を集めて工場を作り、人を雇う資本家階級と、そこで働く労働者階級の分離が進みました。当時は労働法などの整備がなく、未成年者の労働や、過酷な労働環境などが問題になり、社会的な不満が蓄積されます。1811-17年ころにはその不安が暴力となり、ラッダイト運動という暴徒となった集団が物理的に機械を破壊する運動が起こります。1811年には機械破壊を行った者を死罪にするなど、厳しい対立が起こりました。その後、児童労働禁止や、労働時間制限を定めた工場法改正は1833年に実現しましたが、労働者の権利を養護する声が法制化に繋がるには20年ほどの年月が必要でした。また、輸送システムの進化により安い農作物・原料の物流を容易にし、20年で 物価が1/3に落ちる程のデフレをイギリスにもたらしました。
そうした社会変化も内包しながら、イギリスは生産性を大きく向上させ、工業生産においてはイギリスが世界の石炭の70%、鉄の50%、綿布の40%を生産するに至ります。
しかし、こうしたイノベーション・社会変化はずっとイギリスに留まるわけではなく、ヨーロッパ各国、アメリカへ広がっていきます。1870年頃に入ると、互いに工業化を成功したヨーロッパ諸国同士が、海外市場における覇権を巡って対立する事が多くなり、複雑な同盟・対立関係を形成します。これが後の第1次世界対戦の遠因になりました。初めは布を織る速度を上げただけの飛び梭が、大きく社会に影響を与えていることがわかります。
ここまで18世紀のイギリスで技術が社会に与えた影響をざっくりと見てきました。ここで皆さんに注目していただきたいのは、当時と現在の共通性です。技術革新が起こると、その前工程、後工程でイノベーションが起こること、生産に適した形に人々の生活が変わること、生産に必要な労働者が教育によって社会に排出されるようになること、新しい生産方式が浸透していくと人々の役割分担が変わること、時代の波に乗って成功する人と落ちこぼれてしまう人、その対立、ほとんど今の世界と変わらないのではないでしょうか?
次のエントリでは、産業革命期とのアナロジーをみながら、現在のデータサイエンスの発展がどのようなインパクトを私達にもたらすのか、レビューしていきたいと思います。